香港で200万人デモ!完全撤回が求められる逃亡犯条例改正案の内容とは?

時事

香港で200万人参加のデモ

概要

6月16日、逃亡犯条例改正案の完全撤回、林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官の辞任を求めて、200万人もの香港住民が抗議デモを繰り広げました。ルートは、香港島きっての繁華街である銅鑼湾から、立法会(議会)や香港政府本部がある金鐘にいたる約3キロ。香港の住人750万人のうち、4人に1人余りが参加した計算になります。

林鄭長官が審議延期を発表した後も抗議デモの参加者は増え続けていたとのことで、いかに香港市民がこの逃亡犯条例を危険視しているかがわかります。大群衆が幹道を埋め尽くし気勢を揚げる中でも秩序は保たれていて、暴徒化することはなく、中でも救急車に道を譲る動画は大変印象的でした。

理由

2019年2月、香港政府は逃亡犯条例の改正案提出を発表。この改正案では、容疑者の身柄引き渡し手続きを簡略化し、中国大陸にも刑事事件の容疑者を引き渡しできるようになることが焦点に。折しも、反中国色の書籍を扱っていた銅鑼湾書店店員が中国当局に連行される事件があったため、香港人が容易に中国の要求で身柄を引き渡されることが憂慮されました。

3月から反対デモが催され、逃亡犯条例の完全撤回、林鄭長官辞任を叫びながら回を重ねるごとに規模が大きくなっていきました。この背景には、逃亡犯条例という名目はあれど、かつてはイギリス領で民主的だった香港が次第に中国化していくことに危機感を抱いた住民が本能的に起こした行動だったと言えます。

民主の女神、周庭

周庭(アグネス・チョウ)は、香港人の大学生で、香港衆志(デモシスト)の中心的メンバー。22歳。2014年の反政府デモ(雨傘革命)に参加し、学生運動「学民思潮」のスポークスパーソンという立場で抗議を表明。今回の逃亡犯条例に関するデモにおいても、香港衆志の副事務局長として行動を続けています。

日本のアイドルやアニメの大ファンで、日本語が得意な周庭。6月10日に来日し、前日の100万人デモを受け、いま香港で何が起きているのかについて、日本記者クラブで会見を開きました。周庭は流暢な日本語で、「国の司法制度は香港とは異なり、中国では恣意的な拘束、逮捕、拷問がある」「中国は政治犯を作り上げることが上手」など訴えました。

収束しないデモ

香港での抗議活動はいまだ収束していません。逃亡犯条例撤回をめぐる一連のデモは、3月から継続されており、3月31日(12,000人)、4月28日(13万人)、5月にも散発的に発生し、6月9日(103万人)。香港以外でも、ニューヨーク、ロサンゼルス、バンクーバー、シドニー、ロンドン、東京などの都市でも実施されました。

6月16日の200万人大規模デモを受け、林鄭長官は審議の無期限延期を決め混乱を招いたことを市民に謝罪。しかし、香港市民は完全撤回を求めているため、行政長官のオフィスや議会、警察本部などに押し寄せ抗議は続けられています。香港政府は、21日、改正案が廃案となる事実を受け入れると表明しましたが、市民はG20開幕直前の26日に香港でデモを計画しているとのことです。

逃亡犯条例改正案とは

概要

そもそも逃亡犯条例とは、犯罪人引き渡し協定を締結している国・地域の要請に基づいて、容疑者引き渡しを可能とするもの。今回の改正案は、引き渡し協定のない中国本土やマカオ、台湾との間との連携を可能にするものです。2018年、香港人の男が台湾で恋人を殺害したのですが、犯罪人引き渡し協定がない台湾への身柄移送ができないことが問題になっていました。

香港市民の懸念

日本記者クラブで周庭が指摘したように、香港で活動する活動家など中国に批判的な人物が容疑をでっち上げられて中国本土へ引き渡されるという懸念があります。中国に批判的な書物を扱っていた銅鑼湾書店の店員が失踪するという前例があるだけに、香港市民の危機感は最高潮にまで達しています。

また、中国返還後、「一国二制度」で高度な自治が50年間認められているにも関わらず、条例改正により同制度が事実上崩壊するとの懸念も。香港政府は引き渡し対象となる犯罪を限定するなどしていますが、実質的に香港市民も中国当局の取り締まり対象になる恐れがあるためです。

中国の思惑

香港人の視点から見ると、この逃亡犯条例改正案は、中国政府が香港支配をより一層にするための政治的な施策なのですが、当の中国側はどうでしょう。香港で反中活動や民主化活動に参画した人が中国に移送されることがクローズアップされていますが、実際のところは、昨今の米中経済戦争が影を落としているようです。

ターゲットは、香港に資金を持って逃げ出した中国人でした。米中経済戦争の影響を受け、人民元が下落圧力にさらされています。そのため、裕福な中国人が人民元を外貨に換えて海外に持ち出す資金逃避の動きが続出。中国政府は外貨持ち出しを厳しく制限していますが、香港が人民元最大の海外オフショアセンターという背景があったのです。

確かに、反中反共の人物をしょっ引く意図もあるでしょうが、中国から香港への資金逃避を防止する意図のほうが大きいのかもしれません。

香港の歴史

イギリス統治時代

1842年、アヘン戦争後に締結された南京条約で、香港は清朝からイギリスに割譲されました。1898年に半島の北側(新界)の99年間の租借にこぎつけたイギリスは、第二次世界大戦中に日本に占領される以外、継続して香港を統治し続けます。大陸中国が共産主義体制を確立していく中、香港は世界有数の貿易金融都市になっていきました。

イギリスは租借期間が満了する1997年6月30日以降の租借延長を中国に求めますが、逆に新界だけでなく香港島や九龍半島まで返還の対象にされてしまいました。イギリス・中国両国が署名した声明文が発表され、香港が中国の特別行政区となることが決定。返還は1997年7月1日と決まりました。

中国へ返還

イギリス統治下から中国の特別行政区となった香港。返還にあたって、向こう50年間は資本主義体制を保証し社会主義政策を香港では実施しないこと、香港の最高責任者は選挙や協議で選出することなどが定められましたが、中でも大きなキーワードが「一国二制度」です。

一個国家・両種制度という意味合いを持つ一国二制度は、社会主義制度を敷く大陸中国の中で、高度な自治権を有する特別行政区として資本主義制度を保持。現行の社会・経済制度、法律制度、生活方式および外国との経済文化関係を変えず、立法権や貨幣の発行権などを有すことができます。

しかしながら、行政長官の任命につき、香港住民の一部に限られたメンバーで構成された選挙委員会により選出されます。一般の香港市民が行政長官を選ぶ直接選挙ではない上、その立候補には中国当局の同意が必要なので、必然的に親中的な行政長官が生まれるという状態。香港市民はこのシステムが民主的でないとしてデモを繰り返しているのです。

香港の現在

返還されてから20年以上が経過しました。その間、アジア通貨危機やSARS(新型肺炎)などの難局を乗り切り、今や香港はロンドン、ニューヨークと並ぶ世界三大金融センターとしての地位を確立しました。しかし、中国の支配に不安を覚える人の海外脱出が絶えず、返還後も中国色の強い政権運営が続き「我々は中国人ではなく、香港人だ」という意識が強まってきています。

一国二制度は50年という規定ですので、2047年には期限を迎えます。その年に、香港は中国とまったく同じ中国共産党による政権運営を施されるのかは不明ですが、その筋道が見えない限り、今回のような200万人デモはなんども起こる可能性が高いと言えるでしょう。

今後の見通し


主催者発表ではありながら、香港の人口を考えても200万人という大規模なデモは、逃亡犯条例改正案がいかに香港の将来にとって毒になるものであるかを世界中に知らしめた出来事となりました。デモの先頭に立っていたのは大学生という、これからの香港を生きていく若者であったことも象徴的でした。

この一連のデモを受け、香港行政府の林鄭長官は、逃亡犯条例改正案の凍結は伝えましたが、香港市民が要求する撤回と長官職の辞任は発表していません。主催者側は26日、さらには7月1日(香港返還記念日)にも大規模デモを計画。行政府の背後には大陸中国の強力な影響力が見え隠れしています。今回のデモは、香港市民と中国の闘いの現れと言えるでしょう。